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選手名鑑09-10

中村(Nakamura)

中村(Nakamura)
本名 中村俊輔(Shunsuke Nakamura)
呼称 中村(Nakamura)
生年月日 1978年6月24日
身長・体重 178cm・70kg
利き足
国籍 日本
出身地 横浜

所属クラブ

シーズン 所属チーム
2008-09 セルティック
2007-08 セルティック
2006-07 セルティック
2005-06 セルティック
2004-05 レッジーナ
2003-04 レッジーナ
2002-03 レッジーナ
2001-02 横浜F・マリノス
2000-01 横浜F・マリノス
1999-00 横浜F・マリノス
1998-99 横浜マリノス
1997-98 横浜マリノス

経歴

学生時代

深園SCに入団、サッカーを始める。市立深谷中学時代には日産(現・横浜F・マリノス)のジュニアユースのエースとして全国優勝を果たすもユースへ昇格が出来ず、桐光学園高等学校へ進学しサッカー部に所属、高校2年の全国高校サッカー選手権で頭角を現し、高校3年の全国高校サッカー選手権で準優勝を収めた。またアジアユースにも高校サッカー部からの唯一の選出選手として出場した。

Jリーグでの活躍

1997年、横浜マリノスに入団。同年のワールドユースに出場。1997年のJリーグ優秀新人賞を受賞する。1998年初頭にはA代表合宿に初参加する。1999年、Jリーグベストイレブンを初受賞する。

2000年、U-23代表の主力としてシドニーオリンピックに出場。同年、日本人選手最年少でJリーグ最優秀選手賞、日本年間最優秀選手賞を受賞。A代表にも初招集され、アジアカップでは優勝とベストイレブンを受賞、日本代表として定着していった。

セリエA・レッジーナ移籍

2002年5月、日韓W杯本大会メンバーへの招集が有力視されていたが、代表合宿で痛めていた足首のケガが長引いたことや、当時の日本代表監督であったトルシエの選考基準に合致しなかったことなどで落選した。トルシエ曰く落選理由は「負けているときに誰を投入しようかとベンチをみた。その時中村だけが試合をみず髪の毛ばかりをいじっていた。」と発言していた。スペインの名門、レアルマドリードからもオファーがあったがこの「代表落選」が理由でレアルマドリードは手を引いた。このオファーは、レアルマドリードの「カンテラ(下部組織)」からプレーさせるというものだった。ケガが癒えた直後の同年7月、イタリアのセリエAのレッジーナに移籍。

2003年6月、コンフェデレーションズカップフランス大会で、3得点を挙げて『ブロンズシュー賞』を受賞。2003シーズンは出来うる限り代表戦に出場したがリーグ戦出場は激減してしまった。

2004年2月、横浜マリノス時代のチームメート奥大介の夫人・佐伯日菜子の紹介で知り合ったタレント経験のある元ペットショップ店員と結婚。同年7月から8月に行われたアジアカップ中国大会で、最優秀選手に選ばれた。

3年目となったセリエAの2004-05シーズンは、終盤こそ恥骨炎や膝の負傷などで途中出場があったがほぼ先発出場。2005年6月、コンフェデレーションズカップドイツ大会で、1得点2アシストをあげ、グループリーグで敗退したチームの選手で構成されるベストイレブンに選出。 セリエAにおける3年間では背番号10をまとい、残留争いを続けるチームの中で時折存在感を残した。その後セルティックの監督、ストラカンにプレーを高く評価されセルティックに移籍することとなった。

セルティック移籍

2005年7月、スコティッシュ・プレミアリーグのセルティックへ移籍。移籍初年度からリーグ優勝と国内カップ戦優勝の2冠を獲得した。

2006年4月、フットボールスクール『Shunsuke Park Soccer School』を出身地・横浜に開校。6月、ドイツW杯に選出され、グループリーグ全3試合にフル出場。第1戦のオーストラリア戦ではクロスボールが直接得点となった。9月、2006-07シーズンのUEFAチャンピオンズリーグに初出場。グループリーグ第1戦、オールドトラフォードで開催されたマンチェスター・ユナイテッド戦でフリーキックによる得点をあげ、UEFAチャンピオンズカップからUEFAチャンピオンズリーグ(以下CL)に改編されてからの日本人初得点者となった。続く対マンチェスター・ユナイテッド戦でも得点、決勝トーナメント進出を果たす。これはセルティックにとって現行のCLとなって初、日本人選手としても初めての快挙である。2006年10月14日、ダンディー・ユナイテッド戦で海外リーグ戦における自身初のハットトリックを決めた。2007年3月24日、キリンチャレンジカップ・ペルー戦において、オシムジャパン発足以来の初選出。2アシストで勝利に貢献した。4月、セルティックのリーグ戦連覇が決まり、日本人で初めて欧州リーグで連覇を経験した選手となった。2006-07シーズンではリーグトップの12アシストを挙げ、スコットランドPFA年間最優秀選手賞、スコティッシュ・プレミアリーグベストイレブン、スコットランド・サッカー記者協会年間最優秀選手賞を受賞、年間ベストゴール賞も獲得した。また、2007年のバロンドール候補にもノミネートされた。

エスパニョール移籍

2009年6月22日、Jリーグの横浜F・マリノスなどからオファーを受けていたが、スペインのエスパニョールへの移籍が決定した。背番号は7、海外で1桁の背番号を着用するのは初めて。 実は10番が良かったけど、すでに着用されていたため、なんとなく7にした。と、本人は言っている。

プレースタイル

古典的なファンタジスタスタイル。中盤から巧みなキープで溜めをつくりながら、正確な中・長距離のパスでボールを縦横に散らし、隙を見てスルーパスを前線へおくる。

プレースキックの名手として知られている。

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